国旗国歌:都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決【MSN毎日新聞】
2006年9月23日 時事ニュースhttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20060921k0000e040101000c.html
しかし、国旗の成り立ち、国歌の成り立ちを知らずして、国旗掲揚&国歌斉唱反対なぞとほざくのは、教員としていかがなものだろう。
詳細は、
当ブログの「君が代」
http://diarynote.jp/d/58162/20060804.html
の項にも書いているので、一読していただくと良く判っていただけると思う。
そもそも国旗に対して、中国や朝鮮などに対して非道なことをした時の国旗ゆえに掲げたくないという理由だが、どの国も多かれ少なかれ血塗られた歴史と言うものはあるものだ。
中国にしたって、現在の国旗を掲げて後、文化大革命などを推し進め、文化人弾圧なんてことをやってのけているし、アメリカにしたって、星の数(州の数を表しているため)の増加はあれど国旗は変わらず、その旗の下に南北戦争だの2回の世界大戦だの奴隷政策だのとやってきて血塗られている。ミヤンマーなどはビルマからクーデターによって国権を奪って成立し、国旗の変更となったわけだし、それぞれの国の国旗の歴史の中には多かれ少なかれ血の洗礼を浴びていると言ってもいいだろうと思う。イギリス国旗にしたって植民地政策だのなんだのと、なんだかんだと血塗られている。
国歌にしたって、日本ほど平和的に成立した国家など有りはしないのではないだろうか。
フランスにしたって、革命時に革命兵士を鼓舞するために歌われた歌が国歌として成立しているわけだし、アメリカも独立戦争時に兵士を鼓舞するために歌われた歌が国歌となっている。
国旗・国歌を変えるには、終戦直後で東京裁判の終了を持って、生まれ変わったと言う意味で変えたというのならばまだしも、今頃、中国や韓国に申し訳ないと、漠然とした罪であり何に対して申し訳ないのやら訳がわからない理由での変更などしたら、それこそ前代未聞だろう。
血塗られた歴史も、わが国の歴史であり、我々が辿ってきた道筋であると、その重みも責任も何も受け止めたくないからこそ、国旗を掲揚したくないし、国歌を歌いたくは無いのだというのは暴論だろうか。
学校において国旗を掲揚せず、国歌を歌わない、それが自由だし信念だと言うのなら、それは学校において自国の血塗られた歴史を持つ国旗を掲揚し血塗られた歴史を持つ国歌を歌うアメリカやイギリス・フランス、ひいては中国や韓国に対して侮辱していることに繋がるのではないかと思う。
まぁ、他国への侮辱は言い過ぎにしても、日本国民としての責任を負いたくなければ、日本国民である誇りも無く、諸外国がすべての言い分が正しいと全面降伏して思考停止する国民を生み出す温床となっているのではないだろうか。
そんなんだから、いつまでたっても北方領土は帰ってこないし、竹島は不当占拠されっぱなしだし、尖閣諸島の取り合いになるし、北朝鮮になめられて拉致被害者がいつまでたっても一部しか戻してもらえないし、帰して貰えないんじゃないか?
そもそも謝罪も補償もしているのに、60年以上も謝罪しろと言い続けるのって異常じゃないか?どんだけ謝罪や補償しろっていうんだみたいな。経済破綻&国家転覆し中国や朝鮮半島の支配下に落ちて、日本人全員が下僕になるその日まで言い続けるんじゃないか?いい加減にしろよと思う。
そして、一部のセレブな方々はアメリカに脱出とか?
まさに、列島が沈没こそしないが、国家としての日本沈没だな。
かなり暴言があるが、これもそれも私見デス。
入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。少なくとも、国旗を掲揚し国歌を歌うことは、誇りある日本国民なら当然、自然発生的に行うべきことであり、上から強制されてするものではないというのは理解できるので、判決としては妥当なのだろう。
都教委は03年10月23日、都立学校の各校長に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」という文書を通達。国旗に向かって起立▽国歌斉唱▽その際のピアノ伴奏▽こうした職務命令に従わない場合に服務上の責任を問われることを教職員に周知−−との内容で、これに従わず懲戒処分を受けた教職員らが提訴していた。
判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断。
さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。
毎日新聞 2006年9月21日 16時21分
しかし、国旗の成り立ち、国歌の成り立ちを知らずして、国旗掲揚&国歌斉唱反対なぞとほざくのは、教員としていかがなものだろう。
詳細は、
当ブログの「君が代」
http://diarynote.jp/d/58162/20060804.html
の項にも書いているので、一読していただくと良く判っていただけると思う。
そもそも国旗に対して、中国や朝鮮などに対して非道なことをした時の国旗ゆえに掲げたくないという理由だが、どの国も多かれ少なかれ血塗られた歴史と言うものはあるものだ。
中国にしたって、現在の国旗を掲げて後、文化大革命などを推し進め、文化人弾圧なんてことをやってのけているし、アメリカにしたって、星の数(州の数を表しているため)の増加はあれど国旗は変わらず、その旗の下に南北戦争だの2回の世界大戦だの奴隷政策だのとやってきて血塗られている。ミヤンマーなどはビルマからクーデターによって国権を奪って成立し、国旗の変更となったわけだし、それぞれの国の国旗の歴史の中には多かれ少なかれ血の洗礼を浴びていると言ってもいいだろうと思う。イギリス国旗にしたって植民地政策だのなんだのと、なんだかんだと血塗られている。
国歌にしたって、日本ほど平和的に成立した国家など有りはしないのではないだろうか。
フランスにしたって、革命時に革命兵士を鼓舞するために歌われた歌が国歌として成立しているわけだし、アメリカも独立戦争時に兵士を鼓舞するために歌われた歌が国歌となっている。
国旗・国歌を変えるには、終戦直後で東京裁判の終了を持って、生まれ変わったと言う意味で変えたというのならばまだしも、今頃、中国や韓国に申し訳ないと、漠然とした罪であり何に対して申し訳ないのやら訳がわからない理由での変更などしたら、それこそ前代未聞だろう。
血塗られた歴史も、わが国の歴史であり、我々が辿ってきた道筋であると、その重みも責任も何も受け止めたくないからこそ、国旗を掲揚したくないし、国歌を歌いたくは無いのだというのは暴論だろうか。
学校において国旗を掲揚せず、国歌を歌わない、それが自由だし信念だと言うのなら、それは学校において自国の血塗られた歴史を持つ国旗を掲揚し血塗られた歴史を持つ国歌を歌うアメリカやイギリス・フランス、ひいては中国や韓国に対して侮辱していることに繋がるのではないかと思う。
まぁ、他国への侮辱は言い過ぎにしても、日本国民としての責任を負いたくなければ、日本国民である誇りも無く、諸外国がすべての言い分が正しいと全面降伏して思考停止する国民を生み出す温床となっているのではないだろうか。
そんなんだから、いつまでたっても北方領土は帰ってこないし、竹島は不当占拠されっぱなしだし、尖閣諸島の取り合いになるし、北朝鮮になめられて拉致被害者がいつまでたっても一部しか戻してもらえないし、帰して貰えないんじゃないか?
そもそも謝罪も補償もしているのに、60年以上も謝罪しろと言い続けるのって異常じゃないか?どんだけ謝罪や補償しろっていうんだみたいな。経済破綻&国家転覆し中国や朝鮮半島の支配下に落ちて、日本人全員が下僕になるその日まで言い続けるんじゃないか?いい加減にしろよと思う。
そして、一部のセレブな方々はアメリカに脱出とか?
まさに、列島が沈没こそしないが、国家としての日本沈没だな。
かなり暴言があるが、これもそれも私見デス。
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