http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/news/20051119ddm003070106000c.html
<憲法前文事件>

 が尾を引いている。中曽根康弘元首相の怒りは収まらない。

 「一回の相談もなく、御聖断のごとき扱いを受けたことは誠に残念、失礼も甚だしい」

 と中曽根が憤慨するのは無理もないのだ。

 事件が起きたのは先月28日、自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)全体会議の席である。草案を決定し発表したが、ペーパーをみて、中曽根はがく然とした。

 前文小委員長として練り上げた素案の文言はあとかたもなく、まったく別のものが作られていたのだ。会議終了後、中曽根は、

 「日本の歴史、文化、伝統、国柄が完全に抜け落ちている。小委メンバーの不満も爆発的にあった。無機質な政党官僚の作文になっている」

 と声を震わせた。なぜこんな混乱が起きたのか。確かに、

 <日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴として戴(いただ)き、……>

 ではじまる中曽根の前文素案には、党内から反論、異論が出ていた。はじめて自主憲法を作るのだから、議論百出は当然だ。世代ギャップもある。

 ところが、草案は議論省略で抜き打ち的に決められた。小委メンバーの1人は、

 「内閣改造(10月31日)の直前を狙う巧妙な作戦にひっかけられた。ルール違反の強行処理だ」

 と怒る。委員会の事務局側は、

 「小泉首相と森前首相による最高の政治決断だ。議論を続けてもキリがない」

 と言うが、少なくとも、中曽根素案の不採用について説明がないのでは、話にならない。

 最近はなにかと小泉裁断が目立つ。議論すべきことまで裁断で片づければ効率的ではあるが、独裁政治に近づく。

 前文事件には秘話もあった。後藤田正晴元副総理が亡くなる(9月19日)少し前、中曽根と面談し、

 「憲法前文には、聖徳太子17条憲法の『和をもって貴しとなす』をぜひとも入れてほしい」

 と頼み、中曽根が、

 「承知しました」

 と約束していた、というのである。素案では、象徴天皇のあとに、

 <和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化を作り、……>

 と続け、約束どおり<和>を織り込んだ。しかし、草案では全部削られ、一字もない。

 改憲問題で2人は立場を異にした。だが、国情を憂える後藤田の最後の執念に中曽根は感じ入り、<お別れの会>(10月31日)のあいさつで、この秘話を披露したが、後藤田の遺志はまだ生かされていない。

 情緒的な表現はカット、というのが小泉の意を体した事務局側の姿勢だったらしい。しかし、

 <和>

 という日本古来の伝統文化は情緒的だろうか。情緒でなく、理念である。後藤田の最後の言葉を収めた「日本への遺言」(毎日新聞社刊)によると、最近の自民党に対して、

 「あまり非情な政治はやってもらいたくない」

 と注文をつけていたという。政治だけでなく、日本社会から<和>の文化が抜け落ちていくことに、後藤田は危機感を深めていた。憲法も歴史に学び、聖徳太子の原点に戻れ、という叫びは貴重だ。

 とにかく、87歳、最長老の中曽根が、

 「憲法改正は急がずに国民のなかで熟成させる必要がある」

 と言う。この言葉に、後輩の政治家は謙虚に耳を傾けるべきではないか。(敬称略)=毎週土曜日に掲載<え・西村晃一><題字は新川晴風>
今の政治家について、国民のために政治を行うのではなく、自分の利益のために国の命運を動かす政治家という名の政治業者である。
いつからか、こんな持論が定着してしまった寝待月です。
それだけ、不満たらたらなんだが、突撃していけない人見知りのヘタレちゃんな内弁慶さんなだけだったりする。

さて本題。憲法改正法案にて、憲法の前文を中曽根元首相に「お願いしまーすv」としときながら、せっかく作った中曽根氏の前文を採用せずに、まるきり新しい文が入っていたというのだからオドロキである。不採用にした説明もなかったというのだから、中曽根氏が怒るのも当然ではないだろうか。
小泉氏の言うこと聞かねー奴は処分処分処分、反対意見言う奴も処分処分処分(ウルトラセブンの主題歌みてぇ^^;)の独裁政治ゆえの、強行草案採決なんだろーな。
中国がヒトラーを例に小泉氏の靖国参拝を批難したらしいが、たとえかたが的外れ。どうせ言うなら、小泉氏=ヒトラーくらい言っちゃってもいいんじゃないかと思う(ひでぇ)。
小泉チルドレンとか言ってるが、小泉親衛隊の間違いだろ?なんて皮肉ってみる。
国民を疲弊させちゃったら、旨い汁がすすれないから、絶妙な采配でがんばってた昔気質の政治業者と、どーでもいいが、アメリカに迎合して腰巾着の地位を不動のものにせんがため、なりふりかまわない、新世代の政治業者。
目くそ鼻くそを笑うなのか、五十歩百歩と言うべきか、どっちを向いても、いずれは昔気質の政治業者は駆逐され、憲法第九条は残ったとしても無効化されるだろう。
そうして、日本は、アメリカの言いなりに自衛隊派遣を今以上に有効化するのだ。

戦争放棄とは、他国の紛争にに首を突っ込まないという、中立宣言と同様の意味を持つのではないだろうか。

今、アメリカは国連批判をしている。
アナン事務総長を解任し、国連を作り変えるようなことを言っている。
国連費を滞納しているくせに偉そうな!
国連脱退に等しい、俺様一番な発言を聞いていると、第二次世界大戦終結後60年たった今。再度、世界中を巻き込んだ戦争になるんじゃないかと心配になる。
第一次世界大戦終結後21年で第二次世界大戦が始まっている。
各地での紛争や当事国同士の戦争があるものの、世界規模の戦争が60年も持ったのは、ひとえに広島・長崎での原爆による悲劇が、強烈であったからではないだろうか。
ちょっと脱線したが、アメリカの下僕になろう!な政治であからさまなのに、あんまりそんな話を聞かない。
妄想力たくましすぎるんだろうか?w

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索