<同人誌今昔話 3ヨリ続く>
さて、脱線気味なので軌道修正。
それにしても、長い…語りすぎなんかなぁ。ま、いっか。
本来、サークルが出す同人誌というものは、数人のサークルメンバーが、原稿を持ち寄り、本にして、第三者に読んでもらうというものだ。
原稿の締切日、発行日なんかも決まっており、現在の出版社で雑誌を発行する形態に近いものだった。ちゃんとした出版社では、ハネられるような内容でも、好きモノ同士の寄せ集めの同人誌ならOKというのが、同人誌での醍醐味といっても過言ではなかったはずだ。
今や、昔ながらの同人誌形態を保っているのは、コミケに参加しない文芸同人サークル発行のものだけと言ってもいいだろう。コミケなど同人即売会での活動を主体とする二次創作系同人誌において、多人数で発行のものは、個人サークルという特殊形態によって合同誌やゲスト本と名を変えている。
コミケなど同人即売会での活動を主体とする二次創作系同人誌では、ボーイズラブや美少女モノで性描写も当然の仕様であるが、そういった”荒れ”が当たり前となっていて、発行する側も読む側も、それが異質であることを認知できなくなっている。そのため、その荒れのまま社会に出て、出版業界に流れ込むがゆえに、少女漫画におけるレディースコミック以上のロコツな性描写漫画を配信するに至っているのだ。
おそらく、同人誌により性描写を慢性的に見続けているから、感覚が麻痺しているのではないかと考えられる。
そして、その麻痺した感覚で、性描写の多い少女漫画を送り出し、それを見た小学生・中学生などの子供たちに、性へのモラルの低下を招いているのではないかと考えられるが、私の考えすぎだろうか。性描写に頼らず、ストーリィ構成のできる、力ある漫画家と雑誌が少数ながら、まだ存在していることが、わずかばかりの救いとも言える。
ああ、また脱線した(^_^;)
輪転機回して、背をホチキスで止めて自家生産だった時代を知らず、印刷屋オンリーの同人誌を作る輩が「同人屋」なんて呼ばれても、当然だよなと思うし、それで稼いでるくせに税金納めないの?とも思う。出版社は収めてるダロ?
出版社だって、同人誌からスタートした会社もある。
与謝野晶子や芥川龍之介のような文人を輩出したのが同人誌なら、出版社に同人誌というものの認識が無いから今ごろ焦って著作権などの勉強をして制限をかけているという言葉が、まことしやかに流れているのが、同人誌即売会活動系同人作家の認識不足を否めない。出版社の認識する同人誌というものと違うから、盗作やコピー改変(トレースによる複製も含む)などという著作権侵害に充当する問題に対処しなければならなくなっただけである。単に、同人作家側の「作品のFANで、趣味で作っているんだから良いじゃない。作品が扱われるだけ売れているんだから喜べ」的傲慢さが、現在の出版社の作品に関する取り扱い事項の厳しさに繋がったのだ。自業自得。
事実、作品が同人誌で扱われるんだから喜べというような記述のある同人誌を見たことがあるし、商業誌にそういう風潮があるというような記述を見かけたこともある。
こういった、同人作家のモラルの低さが、萌え元の作家&出版社の逆鱗に触れた部分があるのではないだろうか。
ポケモン同人事件に代表されるような、現在の同人作家への風当たりの強さというか、厳しすぎる状況は、歴代の同人作家から連綿と受け継がれ蓄積した結果、悪い方向へと流れたからだと言うべきだろう。
ポケモンの場合は、ゲームが主で、テレビアニメや漫画などは、任天堂から許可を受けた二次創作物であることを忘れてはならない。そのテレビシリーズや漫画をベースに性描写ありの二次創作作品の同人誌を作れば、当時の状況として複製権の侵害となるのは自明の理というもので、その辺の認識の甘さが、著作権がらみの犯罪者を生むのだ。
厳しすぎる自浄作用を求める監視は必要ないとはいえ、作品というものに対する一般常識くらいは学ぶべきである。
ここで一度、区切りとするが、同人誌関連で何かあれば、続きを書きたいと思う。
さて、脱線気味なので軌道修正。
それにしても、長い…語りすぎなんかなぁ。ま、いっか。
本来、サークルが出す同人誌というものは、数人のサークルメンバーが、原稿を持ち寄り、本にして、第三者に読んでもらうというものだ。
原稿の締切日、発行日なんかも決まっており、現在の出版社で雑誌を発行する形態に近いものだった。ちゃんとした出版社では、ハネられるような内容でも、好きモノ同士の寄せ集めの同人誌ならOKというのが、同人誌での醍醐味といっても過言ではなかったはずだ。
今や、昔ながらの同人誌形態を保っているのは、コミケに参加しない文芸同人サークル発行のものだけと言ってもいいだろう。コミケなど同人即売会での活動を主体とする二次創作系同人誌において、多人数で発行のものは、個人サークルという特殊形態によって合同誌やゲスト本と名を変えている。
コミケなど同人即売会での活動を主体とする二次創作系同人誌では、ボーイズラブや美少女モノで性描写も当然の仕様であるが、そういった”荒れ”が当たり前となっていて、発行する側も読む側も、それが異質であることを認知できなくなっている。そのため、その荒れのまま社会に出て、出版業界に流れ込むがゆえに、少女漫画におけるレディースコミック以上のロコツな性描写漫画を配信するに至っているのだ。
おそらく、同人誌により性描写を慢性的に見続けているから、感覚が麻痺しているのではないかと考えられる。
そして、その麻痺した感覚で、性描写の多い少女漫画を送り出し、それを見た小学生・中学生などの子供たちに、性へのモラルの低下を招いているのではないかと考えられるが、私の考えすぎだろうか。性描写に頼らず、ストーリィ構成のできる、力ある漫画家と雑誌が少数ながら、まだ存在していることが、わずかばかりの救いとも言える。
ああ、また脱線した(^_^;)
輪転機回して、背をホチキスで止めて自家生産だった時代を知らず、印刷屋オンリーの同人誌を作る輩が「同人屋」なんて呼ばれても、当然だよなと思うし、それで稼いでるくせに税金納めないの?とも思う。出版社は収めてるダロ?
出版社だって、同人誌からスタートした会社もある。
与謝野晶子や芥川龍之介のような文人を輩出したのが同人誌なら、出版社に同人誌というものの認識が無いから今ごろ焦って著作権などの勉強をして制限をかけているという言葉が、まことしやかに流れているのが、同人誌即売会活動系同人作家の認識不足を否めない。出版社の認識する同人誌というものと違うから、盗作やコピー改変(トレースによる複製も含む)などという著作権侵害に充当する問題に対処しなければならなくなっただけである。単に、同人作家側の「作品のFANで、趣味で作っているんだから良いじゃない。作品が扱われるだけ売れているんだから喜べ」的傲慢さが、現在の出版社の作品に関する取り扱い事項の厳しさに繋がったのだ。自業自得。
事実、作品が同人誌で扱われるんだから喜べというような記述のある同人誌を見たことがあるし、商業誌にそういう風潮があるというような記述を見かけたこともある。
こういった、同人作家のモラルの低さが、萌え元の作家&出版社の逆鱗に触れた部分があるのではないだろうか。
ポケモン同人事件に代表されるような、現在の同人作家への風当たりの強さというか、厳しすぎる状況は、歴代の同人作家から連綿と受け継がれ蓄積した結果、悪い方向へと流れたからだと言うべきだろう。
ポケモンの場合は、ゲームが主で、テレビアニメや漫画などは、任天堂から許可を受けた二次創作物であることを忘れてはならない。そのテレビシリーズや漫画をベースに性描写ありの二次創作作品の同人誌を作れば、当時の状況として複製権の侵害となるのは自明の理というもので、その辺の認識の甘さが、著作権がらみの犯罪者を生むのだ。
厳しすぎる自浄作用を求める監視は必要ないとはいえ、作品というものに対する一般常識くらいは学ぶべきである。
ここで一度、区切りとするが、同人誌関連で何かあれば、続きを書きたいと思う。
コメント
どうして同人ファンの方って好きな作品に対してエロしか求められないのでしょうか?
本来の作品イメージをめちゃくちゃにしてまで自分の欲望を貫くなら、性犯罪者と変わらないような気がします・・・
読み手もエロを求めてしまっているからこそなんでしょうね。需要(エロが読みたい)があるから供給(エロネタを考える)するというか。
性犯罪者と変わらないかどうかは、よく判りませんが、幼女誘拐殺人にみられる精神的未発達はありそうな感じですね。
ストーリィ物のパロディ漫画でも、同人作家たちが考える健全なサイドストーリィが多かったものですが、今や、ホモセクシャルな恋愛物に取って代わられていますね。
やおいという言葉が流行って以降、急激に増えて定着してしまってから、昔ながらの純然たるパロディを見るのが難しくなってしまったのは、悲しいことです。
精神的未発達・・・・。結局は自分のわがまま(欲望)を相手に押し付けちゃっているってことなんでしょうか・・・?
今の日本人は「やさしさ」が「正義=正しいこと」だと勘違いしている方が多いように思います。
「やさしさ」と言う「甘え」を受けて育った子供がわがままに、身勝手な行動に走ってしまうのは当然だと思います。
自分の気持ちにばかり忠実なら、他人の立場や、物事の大切さなど、考えなくていいですからね。
「同性愛」「エロ」とかについてどうこうとは言いませが、今の人達って考え方がすごくつまらないんですよね。
浅はかで、乱暴なんですよね。つまり単純なんですよね。
好きな相手にはいつもセックスしか求められないのでしょうか? 人格としてではなく、欲望を満たす「道具」のようにしか考えられないなんて、自分勝手にもほどがあります!!!
こんなんじゃオタクが偏見受けるのも納得ですよ・・・。
>今の日本人は「やさしさ」が「正義=正しいこと」だと勘違いしている方が多いように思います。
確かにそういう部分があるかもしれませんね。
叱ることは躾ではないようなことを、育児書に公然と書いてあるそうですから。むやみに手をあげることは必要ないとはいえ、悪いことをしたらタイムリーに叱ってあげないと(^_^;)
幼い子供に言い聞かせたってわかりゃしません。他の大人が叱れば、叱ることを美徳としない若い母親は、叱った大人に対して怒るわけですよ。
そして子供は、大人が叱れないのをいいことに、やりたい放題です。そんな子供が大人になり、子供をもうけて躾と称して子供を虐待するか、自分が受けたような子育てをして、我侭放題の子供を育てる。その両極が見えるようです。
>今の人達って考え方がすごくつまらないんですよね。
考え方がつまらないかもしれませんが、想像力が足りないような気もします。漫画やAVなどからの知識で、強姦しても女は喜んでいると思い込んでいたり(合意でHしても、AV男優が言うような台詞吐く奴いるんですよ。マジで!)。こういったことは、オタクだけには限りません。オタクを偏見の目で見る普通の人にも言えることです。ブランド物の新作が出ると買いあさっている人も、絵画を集める人なども、何かを集めるという行為をしている人たちだってある意味オタクだと思っているので、たまたま、好きなのがアニメだというだけで、アニメオタクだけが偏見の目で見られるのは、悲しいことですよね。自分勝手なのは、その偏見の目で見る自称・一般人も同じなのにね。
同じオタクでも、私怨で叩きまくる行為をする輩は、偏見で見られて良しという邪悪思考も持ち合わせているので、あまり参考にはならないですね。一度、私怨ちゃんとその尻馬に乗った連中による叩き行為を受けたことがあるので、余計、嫌いです。
※恨まれるようなことをやったのは、某合戦祭りでのコスプレ行為(必然的に黒服の男装で、時には犬耳つきとか、白衣姿の男装とか)反対!とコスプレしたい派とがっつりやりあったぐらいしか心当たりナシなとこがなんとも……(苦笑
滅多に、同人ネタで記事は書きませんが、こういったやや批判的な記事が賛同を受けるとも思ってもいなかったので、コメントいただけたのは、ありがたいです。私も、同様な意見を持っている方がいると判っただけでも嬉しいです。
寝待月さまのように、良くも悪くも自分の意見をハッキリと
申して下さる方の存在はすごく重要だと思います。
「やさしさ=正しい事」と勘違いしている話のように、
コスプレ反対などの、「反対意見・対象的発言」する方を悪党と決めつけ、話し合いもせずにただ攻撃する事しか考えられない(対処出来ない)なんて、馬鹿すぎでしょう。
暴力や破壊で相手を潰す事が「かっこいいスタイル」だと思っている人達が多いですが、それじゃあ漫画や映画に出てくる悪役となんら変わりありません。
自分の世界を否定・悪く言われたからって、どうしてその人が悪党になってしまうのでしょう? 結局そういう人達って自分のやっている趣味や言動を完璧な正しい事だと思っている
ナルシスト(死語)な奴等なんでしょう。
他人の意見を受け入れる器量がないクセに、自分のしている事は否定しないで欲しいなんて、本当に自分勝手な奴等ですよ!!! だいたい自分達が行っている趣味にしたって、他人の手で構成、整形された物をなぞるようにやっているだけの人間が偉そうに他人を罵るなっつーの!!! 他人の作った物に自分の感情を上乗せしてるだけの、業界にとっては都合のいい利用道具(消費者)が、自分の価値をどれだけ過大評価できるのか・・・。 そういう奴等が言い放つ悪口にしたって、「死ね、自殺しちゃえ、逝って来い」など、小学生並みの悪口しか言い放てない、所詮相手にする価値も無い、中身の空っぽな人間ってことですよ。
私はいつも自分の意見をハッキリと主張しないとすまない人間なので、仕事場の上司とかと、いつも口論しちゃっています。ほとんど自分の考えが間違っている事が多いのですが、やはり話し合いというのは大切な事だと思います。他人の意見を受け入れるよりも、自分の考え方が間違っていると正す方がすごく大変です。(特に私は自分と言う存在に高いプライドを持っているので・・・;;)
小学生レベルの罵詈雑言を言う輩の中身が空っぽかどうかは、相手にしたことが無いので判りませんが、相手にするだけ自分が低レベルになりそうで嫌ですね。
昔というか中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」を題材にパロディ小説を書いていた時期がありました。友人も同じくヤマトのパロディを書いていて、お互い見せ合っていたわけですが、その小説を書いている様子を見た母が「ものまね小説しか書けないの?」と言ってきました。母にしてみれば何気ない台詞だったのでしょうが、私には衝撃でした。
そして、設定を借り、独自の解釈でストーリィを構成するパロディ小説を書くことの意味が判らなくなってしまいました。
その時から、自分で設定を考え、ストーリィを考えとオリジナル小説を書くようになったのです。
パロディ小説を、再び書くようになったのは、某小説にハマったせいではあるんですが、それまでの十数年間、どんなにハマリ物のアニメがあろうと小説があろうと漫画があろうと、パロディのためにペンを取ることをしませんでした。
二次創作にも手を染めている現在、二次創作物を書いていても「オリジナルでも、充分イケルじゃん!」と、イライラしながら書いていることがあります。けど、好きな小説などのキャラを使いたいんですよね(^_^;)
ジレンマで打ち込む手も止まりがちなので、二次創作をアップしているサイトに来てくれている方達に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
暴論になりますが、所詮、二次創作と名を変えようと、原作というものが存在する限り、パロディであり物まねでしかないのです。
二次創作としての同人がもてはやされるのも、アンソロジーが商業ベースにあるのも、出版社からすれば手っ取り早く稼げる金ずるでしかないということかもしれません。
それに乗っかってしまっているのが、同人のファンである私をはじめとする腐女子たちや秋葉くん達などのオタクかもしれません。
うーん。ネタとして記事に起こした方が良かったかな?w
まー「普通に考えて、ソレ変だろう」って指摘して、賛成意見多数の中で、持論と違うからと逆ギレして、相手を悪党の集団ときめつけて暴れるのはどうかと私も思います。(実際、あったんですがorz)
アニメや小説・漫画などの架空世界と、今、自分が生きて生活している現実世界と切り離せない人に多いようですね。
持論を主張するのはいいことだと思います。
ただ、それが間違っていた場合、反省する気持ちと正そうとする気持ちがあれば良いのではないでしょうか。