http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050425k0000e040060000c.html
◆警察庁が連絡室
 警察庁は25日午前9時45分、警備課に警備連絡室を設置。兵庫県警からの情報収集などにあたっている。また、大阪府警は午前11時までに広域緊急援助隊員41人を現場に派遣した。兵庫県警は約700人体制で事故に対応している。
◆遺体安置所
 尼崎市西長洲町の尼崎市総合体育館には午後0時45分ごろから、警察車両で犠牲者の遺体が次々と運ばれた。

 機材搬入口をブルーシートで覆い、犠牲者が外から見えないよう配慮しているため中の様子は分からないが、約10分後、犠牲者の家族らしい女性3人が体育館に到着した。警察官に促され、正面入り口へ回ったが、詰め掛けた報道陣には表情をこわばらせていた。
◆過去の事故
 戦後の列車事故で死亡者が最も多かったのは1947年2月に埼玉県で発生した旧国鉄八高線の列車転覆事故。死者184人、負傷者は497人に上った。62年5月の旧国鉄常磐線三河島駅の事故では死者160人、負傷者296人、63年11月の旧国鉄横須賀線鶴見駅の事故では死者161人、負傷者120人を出した。

 最近では、死者42人、負傷者628人を出した信楽高原鉄道の正面衝突事故(91年5月)▽負傷者217人の大阪市交通局の「ニュートラム」事故(93年10月)▽死者5人、負傷者60人の地下鉄日比谷線の衝突事故(00年3月)−−が目立つ。今回の事故もこれらに匹敵する大事故になった。【小林直】
◇脱線事故に遭遇した毎日新聞経済部の久田宏記者の話
 脱線した電車の1両目の後部に乗っていた毎日新聞経済部の久田宏記者(30)は事故当時の状況を次のように語った。
 伊丹駅で停車位置をオーバーランしたために遅れて出発し、尼崎駅に向かう途中でした。車内の座席は埋まり、僕も含めて数十人が立っていました。

 カーブで電車が左に傾いた後、ドカンという音とともに打ち付けられるような強い衝撃があり、体が吹き飛ばされました。その瞬間、「ウオー」という声にならない悲鳴が車内に響きました。車両が動き続けているのがとても怖く、とにかく早く(車両が)止まってくれと願いました。気づくと眼鏡は吹き飛び、車両は大きく傾いていた状態で、「助けてくれ」という男性の声、女性の泣き声、「落ち着こう」という声が聞こえてきました。

 割れたガラスの窓の外から金網が車内に食い込んでいて、その窓から金網をつたって、前の人に続いて必死にはい出しました。そこで初めて、金網はマンション駐車場のもので、車両が駐車場の中で完全にひしゃげているのが分かりましたが、しばらくは何が起きたか状況をうまく把握できませんでした。頭から出血しましたが、同じようにはい出した人たちの大半も血まみれでした。病院で頭部を10センチほど縫い、ロビーでニュースを見て多数の死者が出たことを知り、改めて恐怖がよみがえってきました。

毎日新聞 2005年4月25日 12時23分(2/2)

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