卑弥呼と邪馬台国【なんちゃって日本史】
2005年3月16日 寝待月のザッパウェア資料探すの、めんどい。
っつーより、本がいっぱい積みあがっているので、なかなか探せない。
orz
とりあえず、なんちゃって日本史。
ある意味ネタ
なので、つっこまれると非常に困るということだけは、書いておこう。
ま、中国の正史として認められた「三国志」(曹操だの劉備だのが暴れている、娯楽活劇読み物ではナイ)の中の、魏書の中に含まれる一文(?)の倭人について書かれた物(「後漢書・倭伝」がソレ)が、常日頃、日本の歴史の教科書に書かれている「魏志倭人伝」と呼ばれるものです。
まぁ、一応、曹操は実在の人物らしい。
で、卑弥呼は、この曹操から「親魏倭王」という称号と「漢委奴国王」と彫られた金印を賜ったわけだ。
ずーっと、金印の発見された九州説。大和朝廷のあった近畿説と、邪馬台国に関する論争が繰り広げられている。
本居宣長が提唱した説を、私は押したい!
根拠はない。タダの希望である。(笑)
日本神話(古事記・風土記などに代表されるもの。本来は日本の歴史書として作られた)とか知っている人だと、判るかもしれないが、高貴な生まれの女性(有力者の娘や女神など)の名は木花之佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)に代表されるように、「〜比売(〜ヒメ)」「〜比売命(〜ヒメノミコト)」「〜媛(〜ヒメ)」「〜媛命(〜ヒメノミコト)」などと呼ばれるのだ。
当時、中国はアジアの中心である(現代も当人たちはアジアの中心だと思っている)し、朝鮮半島を含め、中国に従うのは当然と思われていた。
ゆえに、日本も独立国ではあっても、中国より下位の従属国であると認識されていたことだろう。
中国が、件の従属国の代表者であると認め、もらうのが金印で、文字は、卑しいと言われる文字が使われる。
それを、基礎知識として考えると、卑弥呼は○○媛命(○○のひめみこ、○○ひめのみこと)の「媛命(ひめみこ)さまより〜」と使者が言ったのを、わざわざ卑しい字を当てたために、卑弥呼となったのではないかと思われる。
その調子で、どんどん妄想すると、邪馬台国は大和国(やまとのくに)に卑しい字をあてて、なまった結果ではないかと思う。
そうすると、本来の邪馬台国は近畿にあったという説が成り立つわけだが、史実として、金印が出たとされるのは九州である。
九州に有力な豪族がいたとしよう。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の話を例にすると、クマソタケルが大和国に従わない九州の豪族であったと記憶している。
そういった豪族の治める国のひとつが、件の邪馬台国ではないかと思う。
いわゆる、大和国の者だと名乗って使者を送り、中国に認められることで、大国に認められた国であるとアピールし、バックアップがあると脅す目的があったのではないかと考えられる。
近畿:大和朝廷の率いる大和国vs九州:中国に日本の王だと認めさせた、自称・大和国
の対立が、背景にあるのではないかなぁと妄想した訳だ。
あるいは、邪馬台国は中国への恭順を示すことにより、神武東征以来の大規模軍事行動を起こす援軍を、中国に求めることも視野に入れていたかもしれない。
この、神武天皇が建国したと言われる大和国と、九州の(偽)大和国。この2つがあったのではないかという私の妄想と同じような考えでいたらしいのが、本居宣長である。
本居宣長は、中国の従属国となるのは日本人の誇りとしてありえないという考えから、こういう説を導き出したようだが、あながちハズレではないような気がするのが、私の妄想ゆえだろう。
っつーより、本がいっぱい積みあがっているので、なかなか探せない。
orz
とりあえず、なんちゃって日本史。
ある意味ネタ
なので、つっこまれると非常に困るということだけは、書いておこう。
ま、中国の正史として認められた「三国志」(曹操だの劉備だのが暴れている、娯楽活劇読み物ではナイ)の中の、魏書の中に含まれる一文(?)の倭人について書かれた物(「後漢書・倭伝」がソレ)が、常日頃、日本の歴史の教科書に書かれている「魏志倭人伝」と呼ばれるものです。
まぁ、一応、曹操は実在の人物らしい。
で、卑弥呼は、この曹操から「親魏倭王」という称号と「漢委奴国王」と彫られた金印を賜ったわけだ。
ずーっと、金印の発見された九州説。大和朝廷のあった近畿説と、邪馬台国に関する論争が繰り広げられている。
本居宣長が提唱した説を、私は押したい!
根拠はない。タダの希望である。(笑)
日本神話(古事記・風土記などに代表されるもの。本来は日本の歴史書として作られた)とか知っている人だと、判るかもしれないが、高貴な生まれの女性(有力者の娘や女神など)の名は木花之佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)に代表されるように、「〜比売(〜ヒメ)」「〜比売命(〜ヒメノミコト)」「〜媛(〜ヒメ)」「〜媛命(〜ヒメノミコト)」などと呼ばれるのだ。
当時、中国はアジアの中心である(現代も当人たちはアジアの中心だと思っている)し、朝鮮半島を含め、中国に従うのは当然と思われていた。
ゆえに、日本も独立国ではあっても、中国より下位の従属国であると認識されていたことだろう。
中国が、件の従属国の代表者であると認め、もらうのが金印で、文字は、卑しいと言われる文字が使われる。
それを、基礎知識として考えると、卑弥呼は○○媛命(○○のひめみこ、○○ひめのみこと)の「媛命(ひめみこ)さまより〜」と使者が言ったのを、わざわざ卑しい字を当てたために、卑弥呼となったのではないかと思われる。
その調子で、どんどん妄想すると、邪馬台国は大和国(やまとのくに)に卑しい字をあてて、なまった結果ではないかと思う。
そうすると、本来の邪馬台国は近畿にあったという説が成り立つわけだが、史実として、金印が出たとされるのは九州である。
九州に有力な豪族がいたとしよう。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の話を例にすると、クマソタケルが大和国に従わない九州の豪族であったと記憶している。
そういった豪族の治める国のひとつが、件の邪馬台国ではないかと思う。
いわゆる、大和国の者だと名乗って使者を送り、中国に認められることで、大国に認められた国であるとアピールし、バックアップがあると脅す目的があったのではないかと考えられる。
近畿:大和朝廷の率いる大和国vs九州:中国に日本の王だと認めさせた、自称・大和国
の対立が、背景にあるのではないかなぁと妄想した訳だ。
あるいは、邪馬台国は中国への恭順を示すことにより、神武東征以来の大規模軍事行動を起こす援軍を、中国に求めることも視野に入れていたかもしれない。
この、神武天皇が建国したと言われる大和国と、九州の(偽)大和国。この2つがあったのではないかという私の妄想と同じような考えでいたらしいのが、本居宣長である。
本居宣長は、中国の従属国となるのは日本人の誇りとしてありえないという考えから、こういう説を導き出したようだが、あながちハズレではないような気がするのが、私の妄想ゆえだろう。
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